朝日新聞2月1日朝刊(貧富の差、生死分けた)

 

■貧富の差、生死分けた──コロンビア地震 ---- 行政も非効率、略奪やまず ----

 

 【アルメニア(コロンビア中西部)31日=萩一晶】コロンビア中西部一帯は30日朝も、マグニチュード4・2の余震に襲われた。900人以上の死者を出した大地震以来、体に感じる46回目の揺れで、人々は不安におののいている。しかし、被害が最も大きかったアルメニアでも、よく見るとほとんど無傷の地区がある。対照的な二つの地区を歩いて、明暗を分けたコロンビア社会の背景を探った。

 

 ●無傷

 赤れんがの壁に、真っ白い柱がはえる。農牧場主アルベルト・イササさん(63)の2階建ての自宅は、アルメニア北部の閑静な住宅街カンピーニャ地区にある。外壁にはひび割れひとつなく、ふんだんにはめ込んだ大きな窓ガラスは1枚も割れていない。

 「そりゃ、大変な揺れ方だったよ。でも、うちは耐震設計だからびくともしなかったんだ」と、イササさん。家の中も確かに傷ひとつなく、大地震の直後とは思えない。部屋を仕切る壁が厚く頑丈で、大きな居間も一部を壁で仕切っている。築後17年だという。

 標高1,500メートルほどのアルメニアの周囲には、緑豊かな牧場やコーヒー農園が延々と広がっている。イササさんも農牧場を4つ経営し、5LDKの自宅では妻とお手伝いさんの3人暮らし。皮肉なことに、震災は難なく切り抜けたが、略奪など治安の悪化が心配になり、30日から自宅をあけて農場に移るという。

 斜め向かいに住むマレーナ・ロドリゲスさん(48)の家は、この地区では立地条件が一番悪い。昔はゴミ捨て場だった土地に20年前、一部2階建ての自宅を建てた。それでも、地震の被害はトイレの壁のひび割れ程度。外観はどこも異常がない。夫は不動産業者で、貸家や貸事務所の方が大きな損害を受けて困っているという。

 この地区に並ぶ一軒家はどこもこんな感じで、少なくとも外観にはほとんど問題が見られず、普段通りの生活が続いている。

 

 ●廃虚

 ところが、車で20分ほど南へ走ると街の景色は一変する。ほとんどが屋根が落ちたり、壁に大きくひびが入ったりして危ない状態だ。

 貧しい人が多いサンタンデール地区に入ると、そこはまるで廃虚のようだった。がれきの山が続き、電柱も倒れている。車はぺしゃんこにつぶれ、何とか持ちこたえた家も竹のつっかえ棒で支えているだけで、中はめちゃくちゃだ。

 ホルヘ・グスマンさん(31)はトイレで揺れに襲われた。飛び出したときには、廊下で遊んでいた娘(3つ)はすでに崩れた壁の下敷きになり、息絶えていた。8家族が入っていた長屋は、仕切り壁を一部残すばかりで跡形もなくなった。築後30年ほどだった。

 長屋の人々は、今は前の道に木切れを組み、段ボールやビニール袋などをかぶせた急ごしらえのテントで暮らしている。垂れ下がった電線が物干し場だ。高さ1メートルほどのテントの中に、どうにか持ち出せたベッドのマットやなべ、たんすなどを押し込み、すき間に折り重なるようにして眠る。

 電気が来ないため、夜になると真っ暗。やみ夜に乗じて、メデジンやカリなど近くの都市から入り込んだ強盗団が襲ってくる。

 「ゆうべも強盗がやってきた。私たちの手元に残ったわずかな財産を狙うんだ」とグスマンさん。軍に相談に行ったが、「もう手いっぱいだ。自分たちで何とかしてほしい」と言われたという。職場の金属加工の工場も全壊し、妻(25)と息子(5つ)をどうやって食べさせたらいいのか、と途方に暮れていた。

 

 ●矛盾

 スーパーなどへの略奪が相次ぐ背景には、震災に加えて犯罪の増加、生活の不安など絶望的な状況に人々が追い込まれているのに、援助の食糧すらなかなか届けられない行政の非効率がある。

 アルメニア市計画課によると、建築基準に耐震設計の考え方が採り入れられたのは1993年。法で義務付けられたのは97年のことだ。サンタンデール地区を含め、被害の大きかったところは古い建物ばかりで、埋め立て地や湿地など土壌が弱いところが多かったという。

 貧富の格差が大きい中南米の中でも、コロンビアは左翼ゲリラの伸長に象徴されるように貧困が大きな社会問題になっている。犯罪組織や麻薬マフィアがはびこる暴力的な風土もある。今回の地震は、コロンビア社会が抱える様々な矛盾を浮き彫りにした。