地震工学振興ニュース, No.144, pp.31-34, Sep. 1995

米国の最近の地震工学研究の動向
工学院大学 建築学科 久田嘉章
E-Mail: hisada@cc.kogakuin.ac.jp


 1992年4月から半年間の予定で、私はCUREe-Kajimaプロジェクトの一つに参加する機会を得て、ロサンゼルスの南カルフォルニア大学(USC)の安芸敬一教授のもとに渡りました。幸運にもその後、色々な方々の援助を頂き、さらに一年後には後述するSouthern California Earthquake Center(SCEC)とQuake Projectの予算が当たり、そこから生活費と研究費が出て、計3年間の研究生活を送ることができました。ここでは、SCECとQuake Projectなどを例に、米国の地震工学研究の動向、特に最近の大型プロジェクトやその背景、インターネットのこと、私なりに感じた米国の研究環境のこと、などを報告させていただきます。

米国の研究環境の動向
 米国経済は50ー60年代の黄金時代を終えた後、70ー80年代の低成長、景気後退の時代を迎えます。そして冷戦を背景にふんだんにあった研究予算も90年代には大幅に縮小され、限りある財的人的資源を再編成し、米国経済の国際競争力向上のために有効に利用しようという動きが始まります。特に目につくのは、従来のように各政府機関から個々の研究者にばらばらに研究費を分配するのではなく、大型プロジェクトチームに一括して大きな予算を与え、そのチーム内で再分配するという方法です。連邦政府は国家戦略に基づく大まかな研究方針を示し、個別の戦術は事情を良く知る各地域、各分野の専門家に任せる、という訳です。地震学や地震工学関連の大型プロジェクトの例として、ニューヨーク州バッファローにあるNational Center for Earthquake Engineering Research(NCEER)や、ロサンゼルスのSCECが挙げられます。一方、米政府はコンピュータや情報通信の先端技術育成を競争力向上への重点課題とし、National Information Infrastructure(NII)構想を掲げ、National Coordination Office(NCO)の調整のもとで、国防省のARPA(Advanced Research Projects Agency)、National Science Foundation(NSF)、NASAなど12の省庁や大学や企業が共同し、年間約1000億円の予算でHPCC(High Performance Computing and Communications)プログラムを行なっています。後述のQuake Projectもそこから予算を得ています。インターネットでWWWブラウザ(Mosaic、Netscapeなど)が利用できる方は、NCEERに関しては"http://nceer.eng.buffalo.edu"、HPCCに関しては"http://www.hpcc.gov"などを参照してください。

Southern California Earthquake Center (SCEC)
 SCECは、USCの安芸敬一、T.Henyey両教授を中心にプロジェクトチームが組まれ、主にNSFとUSGSから年間約3ー4億円の予算で、1991年から5年計画でスタートしました。7つの大学と7つの政府機関から50人以上のPI(Principal Investigator)が参加し、数十人の博士課程の学生、ポストドクターがサポートされています。その目的は、南カルフォルニアの地震学、地質学、地震工学などの研究成果を統合し、当地の地震危険度解析モデル『マスターモデル』を構築し、社会に提供することです。その第一世代モデルは、文献[1]にまとめられています。この結果は、Caltran(California Department of Transportation)で行なわれている"Retrofitting Program"(新耐震規定以前につくられた高速道路や橋の補強プログラム)に参照される予定です。またSCECの活動の詳細は文献[2]、[3]やwww"http://scec.gps.caltech.edu"などを参照してください。
 SCECにしても前述のNCEERにしても、その大型プロジェクトの成果が最終的に成功であったかどうかは後世が決めることです。しかし、この大プロジェクト形式による研究方法が、従来の個別研究方法に比べ、優れている点は幾つも挙げられます。まず、共同研究やシンポジウムなどを通じ、異種分野の研究者とも共同研究することにより、双方新しい技術や知見を得るばかりでなく、全く新しい研究の芽も産むことです。また、同種の研究をしている研究者間の情報交換や議論も容易になり、自分の研究の位置付けを知り、縦割り研究は少なくなると思われます。さらに、様々な分野の研究者間の人的ネットワーク網ができることから、非常時には素早い対応を可能にします。例えばノースリッジ地震の直後には緊急財源がSCECから出て、大型の余震観測チームがすばやく組まれています。
Project for Earthquake Ground Motion Modeling in Large Basins (Quake Project)
 Quake Projectは、カーネギーメロン大学のJ.Bielak教授を中心に、同大学の土木工学者とコンピュータ科学者、USCとUNAM(National University of Mexico)の地震学者、5人の博士過程の学生、ポストドクターなどをプロジェクトチームとして1993年より年間約5千万円の予算で4年計画でスタートしました。パラレルコンピュータで効率的に動く三次元有限要素法を開発し、ロサンゼルス盆地の地震動シミュレーション行なうことを目的とします。ここで開発される様々なツールはプロジェクト終了後には一般に公開される予定です。95年7月現在、二次元有限要素法のための三角形メッシュジェネレータが公開されています(http://www.cs.cmu.edu/~quake/triangle.html、を参照)。
 このプロジェクトは、HPCCプログラムのGround Challenge Applicationに提出し、採択されました。Ground Challenge Applicationとは、科学技術の様々な分野で将来性のある先端的研究を行ない、かつコンピュータを大量に利用する研究者をサポートするプログラムです。プロジェクトチーム内にはコンピュータを使用する研究者のみならず、コンピュータのハード、ソフトを開発する研究者をも含めることを重要視しています。なぜなら、現在の最先端のコンピュータがパラレルコンピュータであり、その扱いが容易でないため、それを有効に使いこなすためにはコンピュータ科学者の協力が必要なこと、さらには、コンピュータの先端技術の発展にはその開発側とユーザー側との協力関係なしにありえない、という認識に立っているためです。開発者側は、自分の開発するツールが、先端分野でどのように利用されるのかを間近で知ることができ、さらに今後どの方向に開発を進めるべきか知見が得られ、一方、ユーザー側は、開発者の全面的サポートの基に最先端のコンピュータやソフトウェアが存分に使える、という双方にとって大きなメリットとなっています。
 私個人も1994年に3ケ月間、カーネギーメロン大学に行き、その恩恵を得ることができました。私の主な目的は、私が境界要素法のために開発した成層地盤のGreen関数のコンピュータコードを、先方のFEMの入射場として組み入れることでした。その間、始めてパラレルコンピュータを使う機会を得ましたが、すぐに私の作った境界要素法コードが効率的にパラレル化されることを知りました。先方のコンピュータ科学者が、自分たちの作ったパラレルコンピュータ用のフォートランコンパイラーなどの道具が、実用上、強力であることを示そうと、全面的に協力してくれたためです。ちなみに私の成層地盤Green関数コードは、anonymous FTP で公開していますので興味のある方はぜひお試しください。アドレスは"coda.usc.edu"または"128.125.23.15"です。
 一方、私の滞在中、Quakeプロジェクトの進行状況をチェックするためNSFからコーディネーターの現地訪問があり、途中経過報告会がありました。この間、Bielak教授を始めとする主要メンバーの準備と緊張度は相当なものでした。この時の評価が、次年度からのプロジェクト予算に反映され、それが自分の内外の評価に結びつくためです。コーディネーターが、直接の研究成果のみならず、プロジェクトがどのように各参加機関内で役割分担され、どのように成果の共用や公開がなされ、また、修士や博士の学生がどのように参加し教育されているか、など詳細に調べていたのが印象に残りました。このプロジェクトの詳細は、"http://www.cs.cmu.edu/afs/cs/project/quake/public/www/quake"を参照してください。

インターネットと地震工学
 兵庫県南部地震の際、私はロサンゼルスにいましたが、東京大学地震研究所の始めた地震学者間のHYOGOというメイルリストのおかげで、現地の状況や研究動向を逐次手に取るように把握することができました。さらに現地の地図や写真、最大加速度分布などもWWWやFTPにより、すぐに入手することもできました。
 インターネットは、地震工学研究の上でも重要な道具となりつつあります。研究者間のコミュニケーション、データや研究成果の公開、アクセスの即時性とその広範囲さ、さらには一般市民への情報提供などという点で、インターネットの発達はまさに革命的に思えます。例えば研究成果発表では、ある成果を挙げ、それが論文として発表されるまで通常は一年以上はかかりますし、論文別刷を関係者に配付する作業や金額もばかになりません。ところがインターネットを用いれば、論文を書くと同時に、自分のWWWホームページやFTPサイトにそれを置いておき、関連研究者のメイルリストでそのことを知らせれば、同じ作業が瞬時に終了してしまうのです。そこに何十人、何百人アクセスして論文をコピーして来ようと、作業はそれだけです。同様に、強震波形などのデータを公開する作業もはるかに容易になりました。実際、米国ではインターネットによるシンポジウムや研究雑誌の発刊なども既に始まっていますし、何十という地震関連のデータベースセンターが名乗りを挙げています(http://www.geophys.washington.edu/seismosurfing.html、などを参照)。
 インターネットの急速な発展の背景には、やはり先端の情報通信技術に対するNIIやHPCCを始めとする米国の国家戦略があります。1969年に核戦争を想定して4台のコンピュータをつなぐ国防省のプロジェクトとしてインターネットの前身がスタートしましたが、1980年代半ばにはNSFがその主導権を握り、以降爆発的な発展をみせます。各大学のネットワークを結ぶものとして、補助金などで積極的に推進したためです。そして現在では世界中で5千万人以上の人間を結ぶ世界最大のネットワークに成長したのは良く知られています。インターネットの成功は、末端ユーザがあたかもただで使えるように思える課金制度を採り、ユーザーとそのアイデアを積極的に育てる戦術にあったといわれています(例えば、http://www.cpsr.org/cpsr/nii_policy)。現在、米国のインターネットバックボーンの伝送速度は、日本のそれの100倍以上速く、技術的には5ー10年の差ができていると言われています。さらにソフトウェアとなると、ほぼすべてが輸入されているのが現状です(例えば、http://www.sta.go.jp/IMnet/report/9406)。

日本と米国の研究環境
 帰国後、私も日本の大学に教える立場になりましたが、やはり先端科学技術研究を行なう環境に関して米国と日本とに大きな開きを感じています。その違いの源泉を考えてみると、まず根本の背景には、日本の社会システムが高度経済成長時代にできたためと思われます。経済大国になるという大目標は、各官庁の作った縦割りの道筋を非常に効率良く邁進し、大成功を収めました。大学の役割も文部省の指導のもとで、先端研究よりも基礎教育と応用研究に重点があったと思います。しかし先端科学技術を研究、推進するという点では、そのやり方にはやはり無理があるようです。科学技術は幅広い様々な分野の成果が相互作用し、日夜変化して行くからです。例えば、コンピュータや情報通信は私達の生活のすべての分野に影響を及ぼしていますが、12の省庁と大学、企業が共同する米国のHPCCプログラムを日本でも行なおうとするとき、明治時代からの現状の制度、即ち、大学を始めとする学校の教育研究は文部省、コンピュータ開発は通産省、情報通信は郵政省、科学技術一般は科学技術省、建設関連の研究は建設省、災害対策は国土庁、地震気象情報は気象庁、医学研究は厚生省など、という人的資金的な縦割り状態で、はたして有効に活動できるでしょうか? 低成長時代となった今は、限りある人的金銭的資源を再統合し、より効率的に使うときと思うのです。この点、米国の辿ってきた低成長時代の道筋、特に省庁や自治体、大学、企業を越えた大型プロジェクトによる研究形式は大いに参考になると思います。
 この他、私の感じた日米の研究環境、特に大学での違いとして以下のことが列挙できます。

研究資金
 米国では大学の研究の資金元は、NSFを始め、国防省、エネルギー省、NASA、民間企業など多岐に渡り、その金額も、教員、職員、学生などの給与も含むため、一般に巨額です。一方、日本では、研究資金のほとんどが文部省からのみであり、学生のサポートも認められず、その絶対金額があまりに少ないのが現状です。従って、研究という仕事は職業として自立が不可能であり、教員の多くの時間は、本来職員や技官の行なう仕事に割かなければならなくなっています。但し、近年、通産省は大きな予算で独自に大学との共同研究体制を始めているようです。

研究形態
 米国では研究が組織や分野を越えたプロジェクト単位で動くため、人的資金的に機動性があり、時代の変化とその先取りに即応できます。一方、日本の大学では、18世紀的な学問体系のもとでできた研究室が研究単位であり、人的資金的制約で研究テーマが縦割りに陥りやすく、時代の変化への対応を難しくしています。但し、米国式では、余りに多くの時間をプロポーザル作りに割かなければならず、研究も近視眼的になるという批判も多いのが現状です。

教員の競争と評価
 米国では、教員を内外からフェアに評価しようというシステムが働き、それが昇進や給与に直接反映され、教員間に競争原理が働いています。例えば、大きなプロジェクトを動かせ、巨額な資金を持ってこれる教授には大学もそのために最大級の環境を提供します。有名教授のヘッドハンティングも頻繁に行なわれています。また学生が、教員の授業内容を評価することも良く知られています。一方、日本では教員は終身雇用で給与体系は年功序列、みな平等な扱いです。これは行き着くところ、『人間みな違う』と『人間みな同じ』という哲学の違いなのでしょうか? 安芸先生やCaltechの金森先生のような天才達が、日本で働ける環境は永遠に来ないのでしょうか?

研究の戦力
 米国では、教授は主にプロジェクトのオーガナイザーであり、研究の主な戦力は博士課程の学生とポストドクターです。一方、日本では卒論生と修士の学生が主体となっています。日本の大学では、先端研究を行なうためには20ー30代のプロフェッショナルな若い研究者があまりに不足しているのです。私の知る範囲では、日本の大学教員の平均年令は50代半ばだと思います。但し、米国でも地震工学や土木工学のような地味な分野では、若いネイティブな研究者は不足していますが、アジア、特に中国からの学生と研究者でこれを補っているのが現状です。

資金の投資
 米国での研究資金の大半は人件費です。SCECにしても金森先生のCUBEにしても、その予算の大半は、安芸先生、金森先生とそのアイデアへの投資であり、それを実行する若い研究者、職員や技官へ費やされているのです。日本の場合、これまでは研究資金とは機材を買うお金、と考えているような気がします。

お願い
 阪神大震災後、各省庁で地震学、地震工学関連の大型プロジェクトが動き、巨大な研究予算が費やされているようです。今後はぜひとも各省庁は大学とも共同し、お互いの研究成果を有効利用し、そのプロジェクト内で若い研究者、特に博士課程の学生やポストドクターをサポートするシステムを考慮していただきたいと思います。大学は万年資金とドクター不足ですし、各省庁の研究所は長年の公務員削減で人手不足と聞いていますので、双方に大きなメリットがあると思うのです。
 一方、バブル時代、日本の企業は巨額な資金を海外に投資し、そして現在では巨大な損失を被っていると聞いています。しかし、本当に未来のために投資するならば、これからは是非とも次代を担う大学の若い研究者にも投資していただきたいのです。私が米国で出会った、日本に留学していたある韓国人の博士の学生は『日本の会社には、留学生の博士をサポートする制度はいくつもあるのに、日本人の博士をサポートする制度はありませんね』と言っていました。私自身、大学の助手を終えた後、日本国内には研究を続けるためのサポートは全く見つけることができませんでした。私と同じ立場で助手を終えた友人は、それまで貯めたお金を食い潰しながら研究を続けていました。研究費はおろか生活費のサポートなしで、挫折する多くの若い研究者がいる実態を知っていただきたいのです。

おわりに
 『米国の地震工学研究の動向』というタイトルとは、少し話がずれてきたようで恐縮致します。これを読んで、何かご意見やご議論を頂ければ幸いです。最後になりましたが米国に渡る際、鹿島建設の小堀鐸二先生より鹿島学術振興財団の補助を頂き、USCでは安芸敬一先生よりSCECの補助を頂きました。この他、多くの方々に有形無形のご援助を頂きましたが、記して心より感謝致します。またこの小文を書く機会をくださりました工学院大学の広沢雅也先生に感謝致します。

文献
  1. Working Group on California Earthquake Probabilities: Seismic Hazards in Southern California: Probable Earthquakes, 1994-2024, Bull. Seism. Soc. Am., Vol.85, No.2, pp. 379-439, 1995
  2. 安芸敬一: A Master Model of Seismic Structures and Earthquake Processes in Southern California, 地震発生機構/予知/テクトニクス, 月刊地球号外, No.4, pp.154-161, 1992
  3. 久田嘉章: Southern California Earthquake Centerの活動, 1994年ノースリッジ地震災害調査報告書, 第2章, 2.5.1, 日本建築学会, 1996(予定)